一方、読者投票で38万票以上を取り1位となったウィキリークスの編集長、ジュリアン・アサンジは選ばれませんでした。
票差は実に36万以上…。
その件で秀逸なツイート:
"Share government's secrets, go to jail. Share normal people's secrets, TIME man of the year!"
(政府の秘密をシェアすれば投獄。一般人の秘密をシェアすればTIMEの『今年の人』!)
@anasqtiesh via @nofrills
Facebookの人権侵害
Facebookの情報が企業や政府にダダ漏れだということは前から割と問題になっています。
(詳しくはCriticism of Facebook @Wikipedia)
例えば、友人がアメリカに行った時の話。
友人は旅行がてら小遣い稼ぎもしようと思ってたらしく、そんなことをFacebookに書いたらしい。
アメリカに着くと、入国審査で「本当に観光目的なのか」をしつこく聞かれる。
友人がそうだと言うと、なんとプリント・アウトされた友人のFacebookのページを目の前に置かれ「じゃあ、これはどういうことだ!」と問い詰められた。
結局、友人は送還された。。
この話を聞いた時、驚くよりも「やっぱりそうなってきたのか…」という諦め、それから恐怖を感じました。
警察や諜報機関に重宝される(ギャグじゃないよ…)だけでなく、企業もまたfacebookの恩恵を受けています。勝手に自分の写真がどこかの広告に使われていたり、プライバシー保護の設定が頻繁に変わったり。(どんだけ変わってるかチェック!)
ちなみにElectronic Frontier FoundationがFacebookのプライバシー・ポリシーがどれだけ悪化しているかを検証しています。→Facebook's Eroding Privacy Policy: A Timeline
現在の利用規約の2.1
Facebookで、またはFacebookに関連して投稿したIPコンテンツを使用する、非限定的、譲渡可能、サブライセンス可能、使用料なしの、全世 界を対象としたライセンス(以下「IPライセンス」)を弊社に付与します。このIPライセンスは、コンテンツが他の人と共有され、その人がそのコンテンツ を削除していない場合を除き、ユーザーがIPコンテンツまたはアカウントを削除したときに失効します。写真もプロフィールも企業や警察に配り放題。
Facebookで誰とも共有されない写真とかないって…。アカウント削除も難しいし。
そもそも企業への情報流出はミスでも何でもなく、ビジネス・モデルに織り込み済みの現象なのです。
さらに4.登録とアカウントのセキュリティには
Facebookでは、ユーザーの皆様に実名および実在の情報を提供していただいています。とな。つまり、ニックネームとかはそもそもありえない。
4.3
アカウントが弊社によって停止された場合、弊社の許可なく新たなアカウントを作成することはできません。一度消したら、2度と使えない。
4.7
ユーザーは連絡先情報を正確かつ最新の状態に保つものとします。
こういったことでパーソン・オブ・ザ・イヤーってことなのでしょうか。
(ちなみにmixiの利用規約は一応まともで、「ユーザーご本人の同意を得ずに第三者に提供することは原則としておこないません」となっています。ただし、ゲームなどのアプリケーションは第三者がやっているため、そっちから漏れることもあります。ってか実際ありましたね。→ミクシィ、4200人の情報が3日間「露出」)
ネットの魅力はDistributed(分散型)であること
こうした問題の原因のひとつ、それは、Facebookが中心型だということ。
一ヶ所に情報が蓄積され、その莫大な情報によってFacebookが権力と化す。まさに中央集権!
インターネットの本来すごいトコって、双方向どころか複数方向でのやり取りが可能だということだと思います。
BitTorrent(日本ならWinnyも)に代表されるPeer to Peer(P2P)はその最たる象徴。
中心がなくても成立する構造です(特にピュアP2P)。
そりゃ、アナーキーです。
んでもって、イデオロギーとしてのアナーキーでなく、そこにもうシステムとしてちゃっかりしっかり存在し機能しているアナーキー。
さらにはオープン・ソース、コピーレフト、Creative commons、wikiなどなど、
知的財産所有権にカウンターパンチ!
それによって下手したら何千年続いてきた私的所有の概念にローキック!(ウィキリークス、東京発の公電2717点にOIIP[International Information Programs/国際情報プログラム]のタグがついているのもうむうむと納得してしまう。)
あと、みんなで作ったりやり取りした方が早いし効率的だし面白いじゃん!という至極当たり前なコトがAndroidとかLinuxなどなどの発展を見ると本当に実感できます。受動的なユーザーにでさえ。
クローズド・ソースを死守しようとするMicroSoftやAppleは企業に嘘ついたり脅したりまでしてWindowsやMacを使わせようとしてます。
あの老舗リークス、もといCryptomは、MicroSoftが個人情報を当局に売り渡すだけでなく、読み方ガイドまで作ってあげていたことを暴露しています。
(暴露→サイト閉鎖→利用者怒る→プロバイダー謝る、の過程も含めてちゃっかり公開されてます)
一方、Linuxの生みの親、リーナス・トーバルズは他のOSを敵視するなんて的外れなことはせず、「OS縁の下の力持ち」論を語っています
→リーナス・トーバルズ氏「OSは誰からも見えない存在になるべき」
とにもかくにも、理念と実践が一致しちゃう、それがインターネット。(だって実践が先立ってるから)
今さら、何をそんなことと思う人も多いかもしれないけど…。
ちゃんと考えるようになったのはここ1、2年なんだもので…。
Youtube(またはニコニコ動画)とFacebook(またはmixi)を使ってるだけじゃネットの魅力の半分も分かりません。
なぜならそれらは中心型だから。いやはや、勿体ない。
そんな中、SNSも中心型をやめて分散・水平ネットワーク型にしようぜぃという動きが当然ながら出てきました。いわゆるDistributed social network。
いろんなプロジェクトがある中、ついに本格的に始動したのがDiaspora。
私はまだ使ってないから、どんな感じかは何とも言えないけど、分散型ソーシャル・ネットワークっていうアイディアには大賛成。
ちょっとでも意識的にオープン・ソースのものを選ぶだけでも、もうそれだけで人はネット活動家を自称していいと思います。
あと、crypto-anarchismによってちょっとシャイで臆病な人も、情報発信するネット活動家にもなれます。
(Tassaもチキンです。犬ですが。)
OSはLinuxを使い、ブラウザはFireFox、SNSはDiaspora(例えばですよ)。
そうしたらもう立派なインターネット原理主義者(かもしれない)。。
2011年はインターネット原理主義がはびこりますように。
よいお年を!
※ネット活動家の読み物
Christopher Kullenberg 2010. Det nätpolitiska manifestet[ネット・ポリティクス宣言]. Ink bokförlag.
テッサ・モーリス=スズキ (2004) 「知の囲い込み」(『自由を耐え忍ぶ』第4章)岩波書店
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