ちょっと嬉しいニュースです。
「ウィキリークスを推薦 ノーベル平和賞候補に」(東京新聞)から引用:
ノルウェーの国会議員が2日、米外交公電などを公表している内部告発サイト「ウィキリークス」を今年のノーベル平和賞候補に推薦した。(中略)ウィキリークスを推薦したのは、ノルウェーの連立与党の一つ、左派社会党のスノーレ・バーレン議員(26)。同議員は自身のブログで「(同サイトは)汚職や戦争犯罪などを公表することで、人権や自由を求める闘いに貢献している」と推薦理由を説明した。
お若いですね。Wikipedia情報で恐縮ですが、この方、ピアニストで歌手でもあるそうです。しかも、19歳で市議会議員になってる!(北欧の選挙権&被選挙権は18歳から)
彼の主張は、本人のブログで短くまとめられていました↓
Why I have nominated Wikileaks for the Nobel Peace Prize (Snorre Valen)
以下その翻訳です。
なぜ私はウィキリークスをノーベル平和賞に推薦するのか
言論を発する人があなたと同じ意見を持っているとき、言論の自由を支持することは常に簡単です。これは、政府が失敗しがちな自由主義と民主主義というものにおける「試金石」なのです。例えば、西側諸国は「友好的な気質」を持った抑圧的な政権を容認する長い歴史を持っています。インターネット企業は検索エンジンを検閲して、中国を支援しています。そして、多くの国々が「メッセンジャーを撃とう」とすることで、公共の利益となる資料を公開しているウィキリークスの明白な権利に対向しています。
政府によって機密とされる資料を公開することは、新聞やメディアが何十年と実践してきた明らかに正当な行為です。こうしたやり方で、世の中の人々は政府が説明責任を負わなければならないような権力の濫用を認識してきたわけです。インターネットでこのことは変わらない ー むしろ、インターネットに接続しているヴァーチャルな個人誰もが貢献できるという意味では、ネットによって情報がより手に入れやすく、広めやすくなり、より民主的になってきます。
それにもかかわらず、多くの人がウィキリークスのような組織が出てくると、情報の自由という地図を描き直そうとします。通常は言論の自由を守っているような政治権力や政治機関が、突然、ウィキリークスが示す危険、安全保障への脅威を、そう、「テロ」という言い方をしてまで警告し出すのです。そうすることで、彼らは民主主義の価値観と人権を守ることに失敗しています。実際、彼らは逆のことに貢献してしまっているのです。どんな犯罪が世の中に知られてはいけないかなんていうことを規制するのは政治家の特権ではないし、そうであってはいけない。規制がなかったから、メディアを介してそうした犯罪が知らされるようになってきた歴史があるわけですし。
劉暁波は、中国における人権、民主主義、言論の自由のために闘い、昨年ノーベル平和賞を受賞しました。同様に、ウィキリークスは腐敗や戦争犯罪、拷問(その他多くのこと)を公開 ーー 時にはノルウェーの仲間も ーー することで、世界的にとても価値あるとされることのための闘いに貢献してきました。最も新しいところで言えば、チュニジアの大統領一家が経済をどう取り決めてきたかを明らかにすることで、ウィキリークスは24年間も続いてきた独裁体制を停止することに小さな貢献を果たした。
そういった情報を公開する権利を禁止したり反対することは犯罪です。いくつかの(あるいはすべて)の公開されている資料の中身について私たちがどう考えるかということに関係なく、その権利は守られるべきものなのです。ウィキリークスをノーベル平和賞に推薦することを私は誇りに思います。
スノーレ・ヴァーレン、国会議員/国会議事堂
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去年、劉暁波さんの受賞の際、アメリカは中国の弾圧を批判する一方で、同時 にウィキリークスの活動も妨害しており、そのダブル・スタンダードっぷりに非難の声もありました。もし、本当にウィキリークスが受賞するようなことになっ たらアメリカはどうするのでしょう?各国にボイコットを呼びかけるのでしょうか。そしたら日本はどうするのでしょう?さてさて、どうなることやら。
ヴァ─レン氏 |