2011年1月10日

ダニエルとジュリアンの違い (オープンリークスとウィキリークス)#wl_jp

三木直子さんのブログでOpenLeaks と カリスマ(あるいはその欠如)というエントリを読みました。
(三木さんは去年のChaos Computer Club主催のカンファレンスでウィキリークスが行った講演内容を翻訳し、字幕もつけて下さったプロの翻訳家さんです→26C3 字幕つきYoutube画像 とてもいい内容なので是非ご覧になって下さい。)

このエントリにコメントしようと思ったら長くなりすぎたので、自分のブログに載せることにしました。

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ダニエルの講演を聴いて思ったのは、アサンジの方がある意味より現実的で、ダニエルの方が完璧主義なんじゃないかということです。

彼にしたら、組織の活動と目的が、組織構造そのものや技術的なシステムと一貫していなければならないのかなって。
彼の信念は、一言で言えば、Distributedなのかと(日本語で言うなら「脱中心」のがピンとくるかもしれません)。インターネットの本来の力を信じ、「サイバースペース独立宣言」(EFFの原文: A Declaration of the Independence of Cyberspace)に見られるような昔ながらのオタク気質(いい意味です!)が彼には残っているのかなと。

変なたとえですけど、成田空港建設をめぐる三里塚闘争に、仮にこの2人が加わっていたとしたら、 ダニエルは海外に行くときは陸路とか航路を使って意地でも飛行機に絶対に乗らないタイプ。でも、アサンジは乗れる。プラスになると判断すれば、飛行機に乗ってでも活動を続けるタイプ。

つまり、アサンジはより現実的な人間で、そういう点では妥協できてしまうのかな、と。
彼は「脱中心」とは別のコトにプライオリティがあるような気がするのです。それは告発の効果を最大化すること。言い換えれば、公益の高い情報がなるべく多くの人に伝わることです。それは、彼のジャーナリストとしての経験も影響しているのかもしれません。
もっと言うなら、真実を伝えるということにかけては、彼も完璧主義なのかもしれません。周りの反対を押し切って、実名をすべて出そうとしていたという所を聞くとそんな感じがします。
(それが倫理的にどうなのか、まだ私は判断できませんが)

ウィキリークスがこれからどうなるかは分かりません。
でも、現時点で一定の成功(私は大成功だと思う)を収めたことは間違いないです。知名度が上がったことで(パブリシティ)、情報を多くの人に届けることができたーーCryptomeなど多くのリーク·サイトができなかったことはここにあると思います。それは、初期、ウィキリークスという組織自体の秘匿性を維持したおかげもあると思います。Cryptomeの創設者などはそれを批判したわけですが、組織を維持し、かつパブリシティを高めるためには結果的に良かったということも示したのではないかなぁと。(あと、三木さんがおっしゃられてるようにやっぱりアサンジのカリスマ性も否めない)

一方、オープン·リークスはすでに知名度を持って出発するわけですから、彼らのやり方は現在の状況にかなっていると思います。
これがうまく行けば、彼らが目標とする現実世界を反映した脱中心の組織·システムができあがるのですから、すごいプロジェクトだと思います。

ウィキリークスもオープン·リークスも、大きな不正/義がどんどん不可視化されていく世界を変えようとしている点では同じです。
彼らを対立するものとして眺めるのではなく、どちらのいい所も私たちが享受できればいいと思います。欲を言えば、どちらも何らかの形で支援できれば、なおいいですけど。

残された大きな課題のひとつは内部告発者の保護、直近の問題はマニング兵士の救出だと思います。(彼はウィキリークスの被害者ではなく、米国の非民主的な体制の被害者であることは強調しなければなりませんが)

以上、翻訳家でも技術屋でもジャーナリストでもない犬の遠吠えでした。

追伸
ダニエルは名字(Domscheit-Berg)のタイプが面倒くさいのでダニエルとしました。
なぜか私、ダニエルはダニエルと呼べるけど、アサンジをジュリアンとは呼べない。。
これもカリスマゆえなのでしょうか…?(笑)

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[追記]
当サイトでのオープンリークスについてのエントリ(2010/12/11)

オープンリークス自身がリンクを貼っていたサイトに関する詳細な記事(英語)↓
From Wikileaks to OpenLeaks, Via the Knight News Challenge

Julian Assange & Daniel Domscheit-Berg

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